北大路魯山人氏に学ぶIKIGAI:食と芸術を極めた究極の美意識と生きがいの哲学

これからの歩みを照らす、日常に隠された美の探求

社会の第一線で長年にわたりご活躍され、お仕事やご家庭において数々の責任を果たしてこられた皆様へ。日々の喧騒の中でふと立ち止まり、「これからの人生の時間をより価値のあるものにしたい」「大切な人と共に、より有意義な時間を過ごしたい」と願う瞬間が増えているのではないでしょうか。これまでの歩みの中で培ってきた豊かなご経験や深い知性を胸に抱きながらも、どこか言葉にできない問いを抱えている。それは決して立ち止まっている証ではなく、次なる舞台へと進むための大切な心の動きに他なりません。

充実した日々を送りながらも「この先の意味」を探し求める皆様へ、本記事では明治から昭和にかけて活躍し、日本の食文化と芸術の歴史に巨大な足跡を残した芸術家、北大路魯山人氏の生涯を通して「生きがい」を探求する旅へご案内いたします。北大路魯山人氏は、単なる陶芸家や書家にとどまらず、空間、器、そして料理のすべてを統合した「総合芸術」の境地を切り開いた人物です。氏の名は、現代においても究極の美食家として広く知れ渡っています。

氏の作品や生き方の最大の特徴は、高価な材料や表面的な装飾に頼るのではなく、自然がもたらす本来の恵みや、土そのものが持つ力強さを極限まで引き出し、そこに「美」を見出した点にあります。何気ない日常の営みである「食」という行為を、芸術の領域にまで昇華させたその圧倒的な情熱と視線は、現代を生きる私たちが日々の生活の中で見落としがちな美しさや、生きる喜びを再発見する道標を与えてくれます。

北大路魯山人氏はかつて、このような言葉を残しています。

「個性のあるものには、楽しさや尊さや美しさがある」

この言葉には、他者の評価や世間の常識といった外側からもたらされる基準ではなく、自らの内面にある個性と、素材そのものが持つ生来の魅力を最大限に生かすことへの深い敬意が表現されています。氏の人生は、決して思い通りに進む平坦なものではありませんでした。過酷な幼少期、周囲との激しい軋轢、そして自らが創り上げた場所からの追放という大きな試練。しかし、氏はいかなる困難に直面しても、自らの美意識を曲げることはありませんでした。氏を突き動かしていたものこそが、自らの魂を満たす強烈な「いきがい」だったのです。

本記事では、北大路魯山人氏がいかにして自らのIKIGAIを見出し、それを形にしていったのかを深く掘り下げていきます。

氏の

・仕事を始めたきっかけ

・人生を変えた転機

・仕事観

・生きがい

の歩みをたどることは、単なる歴史の学習にとどまりません。読者の皆様が、ご自身の日常に潜む小さな喜びに気づき、これからの日々をより彩り豊かなものへと変えていくためのヒントとなるはずです。IKIGAIという言葉には、人生の意味を見出し、日々の行いに喜びを感じるという深い精神性が込められています。北大路魯山人氏の愛した自然の美と調和の世界に触れながら、ご自身の心の中にある本当の願いや情熱に耳を傾けてみてください。そこにはきっと、明日を生きるための新しいエネルギーが満ちていることでしょう。

類まれなる審美眼で時代を牽引した北大路魯山人氏のプロフィール

北大路魯山人氏は、1883年に京都府で生まれ、1959年に76歳でこの世を去るまで、明治、大正、昭和という激動の時代を駆け抜けた芸術家です。本名を北大路房次郎といい、篆刻、書道、絵画、陶芸、漆芸、そして料理家と、驚くほど多岐にわたる分野で比類なき才能を発揮しました。

氏の活動の幅は広く、1919年に東京の京橋で古美術品を扱う「大雅堂芸術店」を開き、やがてそこで自らが手掛けた料理を振る舞う会員制の「美食倶楽部」を創設しました。さらには1925年、東京の赤坂に会員制高級料亭「星岡茶寮」を立ち上げ、政財界や文化人の名士たちに究極の日本料理を提供しました。この星岡茶寮は、「星岡の会員にあらずんば日本の名士にあらず」と謳われるほどの高い評価を得ていました。

さらに驚異的なのは、氏が作陶の世界においても常人離れした情熱を注いだことです。料理を盛るための理想の器を追い求めた氏は、生涯で20万点から30万点にも及ぶ膨大な数の陶芸作品を手掛けたと伝えられています。通常のプロの陶芸家が生涯に制作する数をはるかに凌駕するこの数字は、氏がいかに己の理想とする美の探求に命を削っていたかを物語っています。自らの美意識に一切の妥協を許さず、「用の美」を追求し続けたその歩みは、現代を生きる私たちにとっても、自らの信念を貫くことの尊さを教えてくれます。

美と食の統合:北大路魯山人氏が仕事を始めたきっかけ

北大路魯山人氏が自らの才能を社会に向けて発信し始めたのは、初めは「書」と「篆刻(木や石に印を彫ること)」の分野からでした。極めて厳しい経済状況の中で育ち、正規の高等教育を受ける機会に恵まれなかった氏は、書道家や木版師のもとで丁稚奉公をしながら、見よう見まねで筆の運びを学び、独学でその技術を磨き上げました。持ち前の鋭い観察眼と並外れた集中力により、氏は21歳にして日本美術展覧会の書の部で1等賞を受賞するなど、早くからその頭角を現しました。

しかし、氏の人生を真に決定づけたのは、この書の才能と、幼少期から研ぎ澄ませてきた「食」への並々ならぬ執着が結びついたことでした。書家や篆刻家として日本各地を放浪し、豪農や素封家の食客として滞在する中で、氏は各地の豊かな食材と、それを彩る古美術品の数々に触れる機会を得ました。優れた芸術作品に囲まれ、最高の素材を用いた郷土料理を味わう中で、氏の「審美眼」と「味覚」は恐ろしいほどの速さで洗練されていきました。

氏が本格的に食の道、そしてそれを総合的にプロデュースする道を歩み始めたのは、古美術商としての活動が軌道に乗り始めた頃です。1919年に京橋で「大雅堂芸術店」を開業した氏は、古美術品を販売する際、ただ器を飾って見せるのではなく、その器に最もふさわしい料理を自らの手で作り、顧客に振る舞うという手法をとりました。これが1921年の「美食倶楽部」の結成へと繋がります。見事な古伊万里や九谷焼の器に、旬の食材を生かした美しい料理が盛られたとき、器は単なる骨董品から「生きた芸術」へと変貌を遂げたのです。この瞬間こそが、氏の内なる情熱と社会のニーズが完全に合致した、IKIGAIの始まりでした。自分の手で美と味覚の調和を生み出し、人々の五感を震わせる。その圧倒的な喜びが、氏を前人未到の芸術の道へと駆り立てていったのです。

人生を大きく変えた星岡茶寮の創立と総合プロデュースへの道

北大路魯山人氏の人生において、いくつもの重要な出来事が存在しますが、その中でも氏の芸術と生き方に最も決定的な影響を与え、その名を歴史に刻むことになった転機があります。それは1925年、氏が42歳の時に、東京の赤坂に会員制高級料亭「星岡茶寮」を開業したことです。

この転機の背景には、1923年に発生した関東大震災がありました。東京中が甚大な被害を受ける中、被害を免れた建物を借り受け、新たな料亭として再生させるという大事業を引き受けたのです。それまで氏が運営していた「美食倶楽部」は知る人ぞ知る私的な集まりの性質が強いものでしたが、この星岡茶寮の創立により、氏の活動は一気に日本の中枢を担う人々を相手にする巨大な舞台へと変貌を遂げました。

この出来事がなぜ最大の転機となったのでしょうか。それは、氏が「料理人」や「古美術商」という枠を完全に超え、空間全体の美しさ、接客の作法、器の選定、そして料理のすべてを統括する「総合プロデューサー」としての地位を確立したからです。星岡茶寮において、氏は料理人たちに対して次のような厳しい指導を行っていました。

「天候、風の具合で献立を変えろ。温度感覚で考えろ」

自然の移ろいとお客様の体調に完全に寄り添った究極のサービスを追求したのです。星岡茶寮は瞬く間に政治家や財界人など1000名を超える会員を抱える超一流の社交場となり、氏の美意識を社会全体へ問うための強大な基盤となりました。この場所での徹底的な美の追求と実践こそが、氏のIKIGAIを確固たるものにし、後の陶芸家としての爆発的な創作活動を生み出す最大の原動力となったのです。

創造の原点:過酷な生い立ちと自らの居場所を作るための料理

北大路魯山人氏の並外れた美への執着と、食に対する深遠な探求心の源泉を探る上で、氏が過ごした過酷な幼少期の経験は見過ごすことができません。1883年に京都の世襲神官の家系である北大路家に生まれましたが、氏が生まれる前に実の父親が自ら命を絶つという事態に見舞われました。さらに、生後わずか1週間で農家に里子に出され、その後も養家を次々と転々とする数奇な運命を辿ることになります。

愛情に恵まれず、厳しい生活環境の中で、少年時代の氏は生き抜くために必死の知恵を絞りました。少しでも周囲の環境を良くし、自らの居場所を作るために、自ら進んで炊事係(食事係)を買って出たと言われています。

この日々の料理の経験が、後の大芸術家を育む大きな原点となりました。幼い氏は、限られた予算と環境の中で、土の香りが残る野菜や、季節ごとの自然の恵みと直接向き合い続けました。食材に触れ、調理の基本を体で覚える中で、氏は「素材が持つ本来の持ち味」や「旬の食材が放つ生命力の魅力」を文字通り肌で学んでいったのです。高級な食材など一切ない貧しい食卓の中で、いかにして美味しく食べるかを工夫し続けたこの日々の行いが、氏の味覚を異常なまでに研ぎ澄ませました。権威に縛られず、自分の舌と感覚だけを頼りに真の価値を見出すという氏の強靭な独立心は、この過酷な環境下での生存のための工夫の中から芽生え、逞しく育っていったのです。

芸術観を決定づけた人々との出会いと作陶への目覚め

自らの道を切り拓き続ける中で、北大路魯山人氏の芸術観に多大な影響を与え、新たな表現の扉を開くきっかけとなった重要な出来事があります。それは、石川県の山代温泉での滞在と、そこで出会った人物たちとの交流でした。

1915年、書家や篆刻家として活動していた氏は、山代温泉の旅館を訪れ、その地の素封家たちと交流を深めました。そこで出会ったのが、独自の美意識を持ち、自らも作陶に関わっていた細野燕台氏や、九谷焼の優れた陶芸家であった初代須田菁華氏です。氏は彼らが自ら作った器に料理を盛って楽しんでいる姿を見て、強い衝撃を受けました。「自分の理想とする料理には、自分の理想とする器が必要だ。ならば、自分で作ればよいのではないか」という発想に至ったのです。

須田菁華氏の工房を訪れた氏は、菁華氏の手ほどきを受けながら初めて作陶を試みました。絵筆を握り、素焼きの器に滑るように線を描き入れていくその瞬間、氏の中に眠っていた巨大な才能が目を覚ましました。既存の九谷焼の型に囚われず、自由で大胆な発想で作られる氏の器は、まさに「料理を生かすため」に計算し尽くされたものでした。この地での作陶体験と、氏の才能を温かく見守り導いてくれた人々との出会いが、彼を歴史に名を残す「陶芸家・魯山人」へと変貌させる決定的な契機となったのです。異なる分野の叡智を柔軟に吸収し、自らの表現へと昇華させていく姿勢は、氏のIKIGAIをより深く、より独自性の強いものへと押し上げていきました。

仕事における最大の喜び:究極の美味と器が織りなす完全なる調和

北大路魯山人氏にとって、仕事における最大の喜びは、「自然がもたらす最高の食材」と「自らの手で創り出した理想の器」が完全に調和し、食卓の上で1つの小宇宙が完成する瞬間にありました。氏にとって料理や作陶は、単なる生計を立てる手段や名誉を満たすためのものではなく、自らの魂が美と共鳴する至福の体験そのものだったのです。

氏は、次のような極めて有名な言葉を残しています。

「食器は料理の着物である」

美しい着物が人をより美しく引き立てるように、優れた器は料理の命をさらに輝かせます。星岡茶寮において、氏は毎日変わる気候や温度、そして招かれた客人の顔ぶれを思い浮かべながら、どのような器にどのような料理を盛るかを緻密に計算し尽くしました。熱いものは熱いまま、冷たいものは冷たいまま、最も美しい姿で客人の目の前に供される瞬間。食材の鮮やかな色彩が、氏の手がけた備前焼の深い土の色や、織部焼の鮮烈な緑色と交じり合い、完璧な調和を見せるその情景こそが、氏の追い求めた最高の芸術でした。

氏はまた、「天然の味に優る美味なし」と断言しています。無駄な手を加えるのではなく、自然の恵みそのものの真実の味を引き出すこと。自らが信じる究極の美意識を目の前の器と料理に表現し、それを真に理解できる人々に振る舞うこと。氏にとって、自らの手で美の極致を創り上げ、自然の生命力と向き合うその一瞬一瞬が、生きる喜びが爆発する最高のIKIGAIの実感に満ちていました。

絶望の淵からの飛躍:星岡茶寮からの追放と陶芸への完全なる没入

富と名声を手にし、日本の美食界に君臨した北大路魯山人氏の人生ですが、その歩みは決して順風満帆なものばかりではありませんでした。妥協を一切許さず、自らの信念を絶対に曲げない氏の強烈な個性は、時に周囲との間に埋めがたい深い溝を生み出しました。そして1936年、氏は自らが心血を注いで築き上げた星岡茶寮を、経営陣との対立により追放されるという過酷な状況に見舞われます。

人生の最も華やかな舞台を突然奪われ、信頼していた人々との決別を経験した氏の苦悩は、想像を絶するものだったはずです。大勢の取り巻きは去り、氏は一夜にして明日をも知れぬ身の上となりました。しかし、ここで氏の真の強さが発揮されます。氏は決して自らのIKIGAIを手放すことはありませんでした。星岡茶寮という「料理を提供する場」を失った氏は、その膨大なエネルギーのすべてを、自らの窯である「星岡窯(せいこうよう)」での「作陶」へと一気に注ぎ込んだのです。

料理というその場で消えてしまう芸術から、土と炎が創り出す永遠の芸術へ。氏は北鎌倉に広大な土地を構え、そこで朝から晩まで土と向き合い続けました。星岡茶寮を追放されてからの時期こそが、陶芸家としての氏の才能が最も純粋に、そして最も激しく燃え上がった時期となりました。思い通りにいかない経験や逆境を悲観するのではなく、それを「より深く自らの芸術に没頭するための機会」として捉え直し、圧倒的な創造のエネルギーへと変換した氏の姿勢。それは、私たちに「どれほど厳しい環境に置かれようとも、己の内なる情熱の炎は誰にも消すことはできない」という力強い勇気を与えてくれます。

現代の和食文化へと繋がる、北大路魯山人氏が社会に届けた価値

北大路魯山人氏が社会に届けた最大の価値は、日本の「食」という行為を、視覚、味覚、触覚すべてを満たす総合的な芸術文化として世界に通用するレベルへと引き上げたことです。氏が提示した、季節感を重んじ、器との調和を極限まで計算する美意識は、現代の高級日本料理の基礎となり、和食がユネスコ無形文化遺産に登録された背景にも、氏が確立した美学が深く息づいています。

さらに氏が残した遺産は、20万点を超えると言われる膨大な陶芸作品です。これらはガラスケースに飾って鑑賞するためだけの美術品ではなく、実際に料理を盛り、手に持って使うことで初めてその真価を発揮する「用の美」を体現しています。現代においても、多くの料理人や陶芸家が氏の作品からインスピレーションを受け続けています。情報が溢れ、効率ばかりが優先されがちな現代社会において、氏が徹底的にこだわった「自然への畏敬の念」と「手触りのある本物の美しさ」は、私たちが忘れかけている人間本来の豊かな感性を呼び覚ます、かけがえのない価値として輝き続けています。

一切の妥協を許さない徹底した仕事観と表現者としての矜持

北大路魯山人氏の仕事観を語る上で欠かせないのが、他者の評価や世間の常識に一切媚びない、徹底した自己探求の姿勢です。氏にとって仕事とは、お金を稼ぐための手段でも、誰かに認められるためのものでもありませんでした。

氏は、「道は次第に狭し」という随筆の中で次のような言葉を残しています。

「絵画の場合も同じだ。すべて自分が尺度である。自分に五の力があれば、五だけの味は表現できるものである」

これは、対象の価値を見極めるためには、まず自分自身の実力と感性を磨き上げなければならないという厳しい哲学です。美味いものを美味いと感じ、美しいものを美しいと感じるためには、自分自身の内面をどこまでも深く掘り下げ、本質を見抜く目を養わなければなりません。

自らが心から納得できるまで土を練り、炎と格闘し、最高の食材を探し求める。他者の目線ではなく、自分自身の「絶対的な納得」のために全精力を傾ける氏の姿勢には、表現者としての強烈な矜持と、揺るぎないIKIGAIの形が明確に表れています。

北大路魯山人氏にとっての「生きがい(IKIGAI)」と独自の美学

北大路魯山人氏の生きがい(IKIGAI)の哲学は、氏の残したこの言葉に最も強く表れています。

「人は誰にでも必ずそれぞれ好みがある。それが個性というものだ。自分のそういう気儘をせいぜい通して行くがよい。各自の好む所に従って、せいぜい勝手気儘に楽しむがよい。そういう好みの程度を高めて行くことは、結局情操を高めることであり、人間を高めることになる」

この言葉には、氏の人生の指針が凝縮されています。氏にとってのIKIGAIは、社会の枠組みに自分を合わせることではなく、自分の中にある純粋な「好き」という感情や、こだわりを極限まで高めていくプロセスの中にありました。己の感性に正直に生き、それを貫き通すこと。周囲と摩擦を生むことがあっても、決して自分の魂に嘘をつかないこと。

日常の「食べる」という当たり前の行為の中に、限りない美しさと自然の摂理を見出し、それを具現化し続けた氏。外側の世界がどれほど騒がしくとも、自分の内面にある美意識と向き合い、自らの手で新しい調和を創り出すその時間は、氏にとって最高のIKIGAIであり、生を実感する至福の体験であったのです。

自然の恵みと豊かな感性を後世へ:氏が描いていた未来

北大路魯山人氏が晩年、広大な星岡窯で膨大な数の器を焼き上げながら見据えていた未来。それは、単に自分の名前を歴史に残すことではなく、日本人が本来持っているはずの「自然の美しさを愛でる豊かな感性」を、後世の人々に具体的な形として手渡すことでした。

氏は、不自然に作られた味や、表面だけを取り繕った器を激しく嫌いました。氏が願っていたのは、人々が本物の土の温もりに触れ、季節の移ろいを感じ、そこから生み出される「天然の美味」を心から味わえる豊かな社会です。氏が残した何十万点もの器は、未来の料理人たちへ向けた「この器に負けない本物の料理を作ってみよ」という、無言の挑戦状であり、同時に深い愛情のこもった贈り物でもありました。

自らの個人的な美の探求が、いつしか時代を超え、後世の人々の感性を磨き、生きる喜びをもたらす光となること。芸術の力で人々の魂に触れ、豊かな食卓という最高の文化を残すこと。それは、氏の生涯における最も壮大なIKIGAIの結実であったと言えるでしょう。

これからの生きがいを探す皆様へ:北大路魯山人氏からのメッセージ

もし今、これまでの歩みを振り返り、これからの日々にどのような生きがいを見出すべきかと思案されている方がいらっしゃいましたら、北大路魯山人氏の残したこの言葉に触れてみてください。

「料理をおいしくこしらえるコツは実行だと思う。私の言うことが正しいか正しくないかをまず批判していただきたい。そしてああその通りだと思ったら必ず実行していただきたい。考えることも大切だ聞くことも大切だ実行することはもっと大切なことだと私は思う」

私たちは年齢や経験を重ねるにつれ、つい「頭で考えるだけ」になり、新しいことに挑戦することをためらってしまいがちです。しかし氏は、「したいと思っている心をしようと決心するには1秒とかからない」と断言しました。誰かの真似をするのではなく、皆様ご自身がこれまでの人生で培ってきた独自の経験、独自の感情、独自の強みを生かし、まずはごく小さな第一歩を踏み出してみること。

情熱の源泉や「いきがい」は、自分とは違う何者かになることの中にはありません。皆様の足元にすでに存在している、ご自身の「好き」という純粋な気持ちや、長年大切にしてきた独自の価値観。それをありのままに肯定し、誰の評価も気にせず、ただ純粋に行動に移していくこと。そのプロセスの中にこそ、明日を鮮やかに生きるための確かな「生きがい」が隠されています。

究極の美を追い求めた生涯から学ぶIKIGAIの法則:あなたはこの地球に何を残しますか?

類まれなる審美眼で時代を牽引した芸術家、北大路魯山人氏の76年の生涯。それは、過酷な生い立ちや幾多の対立という試練のなかにありながらも、自らの内なる美意識を一切妥協することなく信じ抜き、自然の恵みを至高の芸術へと昇華させることに命を燃やした「いきがい」の物語でした。

今回の内容を参考にした、重要な視点を3つに集約します。

1つ目は、どれほど逆境に置かれようとも、その環境の中で自ら工夫し、自らの道を切り拓く逞しい生命力を持つことの重要性です。

2つ目は、地位や場所を失うような困難に直面しても、それを嘆くのではなく、自らの持つ別の情熱へとエネルギーを変換し、新たな表現を生み出していく不屈の精神性です。

3つ目は、毎日の食事のような身近な日常の営みの中にこそ、究極の美と生きがいを見出し、己の感性を研ぎ澄ませていく視点の持ち方です。

そして、今回の内容を参考にした、今すぐにできる小さな行動の具体案を示します。それは、「今日、ご自身の食事の準備をする際、あるいは食材を選ぶ際に、価格や手軽さではなく、『今の季節が最も美しく現れている旬の素材』を1つだけ意識的に取り入れ、その本来の香りや色合い、生命力を五感でじっくりと観察してみること」です。特別な高級料理である必要はありません。ただ1つの野菜の瑞々しさに目を向け、自然がもたらす完璧な造形と味わいに深く感謝すること。この小さな観察の時間が、氏が重んじた天然の美を捉える感覚を呼び覚まし、あなた自身の日常を豊かなものへと変えていくはずです。

「個性のあるものには、楽しさや尊さや美しさがある」 と語った氏の言葉には、対象の持つ本質を深く愛し、全身全霊で向き合った人間の凄みが宿っています。

北大路魯山人氏が究極の美を追い求め、後世の人々の心を豊かにする数多の名器と美学を残したように、私たちにもそれぞれの人生で培ってきた独自の光があります。

What will you leave on this planet?(あなたはこの地球に何を残しますか?)

その答えを探す旅そのものが、これからの日々を輝かせる皆様自身のIKIGAIとなっていくことを、心より願っております。

【執筆:Mermaid nao(マーメイド・ナオ)】アーティスト / コラムニスト

アートを通じて命の可能性と美しさを引き出す活動を行う。国際カンファレンス「THE WING TOKYO2025」での登壇や老舗旅館「名月荘」での展示、Webメディア『プロフェッショナルの選択』掲載など実績多数。

 

【引用元・参考情報】

  • 美術館 – 宗家 源吉兆庵(“陶芸家”魯山人)
  • 如来山内科外科クリニック(第百六十話:『北大路魯山人 その壱』)(第百六十一話:『北大路魯山人 その弐』)
  • 京料理 日本料理 会席料理の知識 勉強(北大路魯山人)
  • 和樂web(波乱万丈! 魯山人のマルチな才能に迫る!Part4:人生(前編))(魯山人とは?会員制料亭・星岡茶寮を立ち上げた芸術家の素顔と美学)(魯山人の魅力 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!)
  • 世田谷美術館(北大路魯山人(1883-1959))(塩田コレクション 北大路魯山人展)(北大路魯山人(1883-1959) 清水 真砂)
  • 東京国立近代美術館(北大路魯山人の芸術)
  • 京都で遊ぼう(北大路魯山人とは)
  • 青空文庫(北大路魯山人 近作鉢の会に一言)(北大路魯山人 愛陶語録)(北大路魯山人 個性)(北大路魯山人 道は次第に狭し)(北大路魯山人 料理の第一歩)(北大路魯山人 持ち味を生かす)(北大路魯山人 習書要訣 ――美の認識について――)(北大路魯山人 現代能書批評)
  • 美術品・骨董品買取こたろう(魯山人とはどのような人?人物像や作品の特徴・魅力、代表作)
  • 京都通百科事典(北大路魯山人)
  • 魯山人寓居跡 いろは草庵(山代温泉と魯山人)
  • いわの美術(骨董品の中でも不動の人気を誇る北大路魯山人作品)
  • ダイワハウス(北大路魯山人|PREMIST SALON プレミストサロン)
  • 平凡社(魯山人 美食の名言 853)
  • 辻調理師専門学校(郷土料理探訪・金沢・「星岡茶寮」)
  • note(ニューヨークの桃太郎 銀座花伝MAGAZINE Vol.42 / 鎌倉 吉兆庵美術館)

 

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